子供に自信を持たせる方法
新学期も始まり、朝の通勤通学の時間帯では小学校に向かう1年生を見かけます。
幼稚園や保育園時代には今まで送り迎えが当たり前だったのが、小学1年生になると教科書や筆箱が入った重いランドセルを背負って自分の足で小学校まで歩かなくてはいけません。
この厳しくも当たり前な現実に直面して早くも体調を崩す子供が続出しています。
それもそのはずです。
ただでさえ慣れない環境に馴染めず疲れているのに、体力がない状態で毎日ランドセルを背負って歩けば体調を崩して当たり前といえば当たり前なのですが、「疲れた」「学校がつまらない」とつぶやく我が子をみてその原因や改善策が分からず悩む親も多いようです。
現代の子供たちはハウスで育てられた野菜のようで、ちょっとした変化に対応出来ず体調をすぐに崩します。
体調を崩すのは仕方ないのですが、治りが遅く繰り返し体調を崩します。
これは子供が悪いというよりもハウス栽培の野菜のように育てる親が悪いと言っても言い過ぎではないのかもしれません。
というのも、千葉県市川市の子供たちは日常生活で30分以上歩いたことがない子が多く、季節性の風邪の影響で学校を休む子が続出し、学級閉鎖や学年閉鎖が当たり前になるほど体が弱いからです。
手足が細く、腰と背中がふにゃふにゃで色白い顔をしている小学生、昔はクラスに1~2人くらいしかいなかったのが、今では色黒い顔をして腰や背中がしっかりしている小学生を探すのが難しいくらいです。
これも現代人は歩かないからでしょうか、ちょっと歩いたら疲れたという子供が多いようです。
歩かないならどうやって移動するの?
ほとんどは親の運転する自転車や車です。
「親が当たり前にやっていることが子供の体力低下に拍車をかけている」
この事に気付く親は非常に少ないようで、市川市における子供のハウス栽培は深刻化しています。
さらに市川市の子供たちは外遊びをせず、日ごろから家の中やショッピングモールで携帯ゲームやテレビゲームなどで遊ぶことが当たり前、このような子供たちの状態は数値でも明確に現れていて、市川市の子供たちの体力テストは千葉県で最下位です。
からだ塾を開業して6年経ちますが、年々子供たちの体力が低下しているのを感じていますし、精神年齢が低い子供が本当に多くなったなとも感じています。
精神年齢といっても捉え方が様々ですが、私が言いたいのは脳が正常に機能していないことを言っています。
例えば、後片付けをするよと指示をしたのにすぐに動けなかったり、話を聞かず自分の好き勝手に動き回ったり、大人が指示を出してもすぐに「いやだ!」と言ったり、その他やっていいこととやってはいけないことの分別ができていない子供が多い気がします。
これは親のしつけの問題でしょうか?
それとも子供の問題でしょうか?
いずれにせよ、現代人の脳と脊髄神経に異常があることは間違いないでしょう。
ただこれに気付かず「まだ幼いから仕方ない」「そのうちなんとかなる」と片付ける親も多いようです。
ハッキリ言いますが、子供に何か問題がある時それを先送りするのはやめたほうがいいでしょう。
気付いた時が変えるべき時です。
親は子供の異変に気付いたら、すぐにどうしたらよいのか必死で考え改善策を実践しましょう。
それをせずに「そのうち何とかなるよ」と片付けるとのちのち痛い目にあいます。
これは小学生の子供たちをもつ親は痛感しているのではないでしょうか。
学校では先生の話を聞かずにじっと椅子に座っていられず、教室の中を動き回る子供も珍しくない世の中、親が心配や不安を抱えていれば、その表情を観察している子供も心配や不安になります。
その心配や不安を解消できればいいのですが、その方法が分からず気持ちも落ち込み更に心配や不安になる。
そして親からは他人と比較され「何で出来ないの?!」と言われ続け、自信を無くし何事も挑戦したいと思えなくなり消極的な行動が当たり前になる。
これが自信を無くしていく子供の典型例ではないかと思います。
私は小学時代の過ごし方でその子の人生が決まると考えていて、人間はおよそ12歳までの経験を土台にして自分自身の歩むべき道を選んで決めていくのではないかと推測しています。
これは私の経験とその他諸先輩方の話を聞いていくうちに導き出した答えなので、全て正しいとは言えませんので悪しからず。
そんな12年間のうちの半分である6歳くらいが非常に重要な時期で、そこで経験する様々なことで無意識に自分の存在価値を知ります。
そんな重要な時期に自信をもって過ごせれば何事も前向きな考えになりますが、反対に自信をもって過ごせなければ後ろ向きの考えになります。
人生長くて100年生きます。
短いようで長い年数を過ごしていく上で、出来れば前向きに生きたいと願うのは誰しも同じでしょうが、子供のこととなれば尚更でしょうか。
親である自分自身は後ろ向きだけど、子供だけは前向きに生きて欲しいと願う親も多いかもしれませんが、そのような願いは残念ながら神様は叶えてくれません。
それもそのはず、神様は親も子供も共に前向きになって生きて欲しいと強く願っているからです。
今回は、私の考える「子供に自信を持たせる方法」を書いていきます。
今の所、うちの娘は体調も崩さず小学校に通うのが楽しいようで、真新しいものに目をキラキラ輝かせながら毎日ルンルン気分で小学1年生を満喫しています。
これが出来たのは紛れもなく、温度がいつも一緒のハウス栽培ではなく、熱くも冷たくもある大自然の中で子供を育てたからです。
我が子に自信を持たせたいと思っている方は参考にして頂ければ幸いです。
一人の娘と100人以上の子供たちに運動指導してきた人間が学んだことを書いていきます。
達成感を味わえる環境を作る
子供に自信を持たせるうえで欠かせないものの一つが「達成感」です。
これは大人も子供も同じですが、人間は何か達成できた時に心が満たされ安心でき幸福感を覚えます。
言ってしまえば「毎日必ず達成した」といえるものが一つでもあればそれだけで人間は幸せだし、自信をもって生きていけるのかもしれません。
ただ、この「毎日達成する」が非常に難しいですし、達成したと思える「感覚」も人それぞれですから、何をどのように達成した時に達成感を味わえたかと具体的には言いにくいものがあります。
また達成感が味わえない日々を送ると人間は心配や不安の感情に苛まれて、今のままでいいのだろうかと自信がなくなっていきます。
いわば、この達成感を味わえるか味わえないかで自信がつくかつかないか決まってくるということです。
だからこそ、子供を取り巻く環境つくりが非常に大切なのですが、現代の子供たちが過ごす環境はとても達成感を味わえるとは言い難い物があります。
今の子供たちは昔に比べれば様々な事に挑戦できる環境は整っています。
スポーツ体験、音楽体験、陶芸体験、乗馬体験、登山体験、職場体験・・・などなどあげればきりがないほどの体験できる環境があります。
しかしながら、このような体験が簡単に出来てしまうことって子供にとって本当にいいのでしょうか。
昔はどれだけ頑張っても出来なかったことが、今はお金さえ払えばだれでも簡単に経験できる。
習い事も豊富にあり、幼児教室、英語教室、公文、そろばん、書道など親はそれをせっせと習わせます。
小学生になる前の未就学児から足し算掛け算が出来ている子も珍しくありません。
何事も早いうちに習わせるのがいいとは言われていますが、小学校でやることをわざわざ未就学児でやる必要があるのでしょうか。
子供からしたら「やった気」「出来たつもり」になってしまい達成した喜びという物を味わえない気がします。
というのも、達成感は誰かが何かを準備したものの中で味わえるものではなく、自分自身で考え準備したものの中で味わえる物だからです。
いわゆる自分自身で創意工夫した中で失敗もあり、痛い思い悔しい思いもあり、そんな中でやっと完成したり出来たりしたことで味わえるものが達成感なのです。
このような創意工夫無くして体験できたものは、子供からしたらなんかやらされている感があり身になりません。
もちろん体験できた喜びはあると思いますが、何かを達成できたという喜びはないようにも感じます。
同じ喜びでも身に付くものやその後に続くものが違います。
体験できた喜びはそれ以上を求めませんが、達成できた喜びはそれ以上を求めます。
つまり達成感は更なる喜びを求めるきっかけ作りになるのです。
このようなきっかけを上手に使いこなせるようになると何事にも自信をもって歩んで行けるのですが、そんなに人生甘くありません。
時には失敗して求めていた事を達成できない悔しさが出てきます。
そんな時に周囲の人からの声掛けが子供にとって何よりの救いとなります。
「次出来るかもしれないんだから頑張ろうよ!」
こんな言葉をかける大人は多いと思います。
しかし、このような言葉では子供は救われません。
それもそのはず、失敗や悔しい思いをした経験がある人なら分かると思いますが、失敗体験ってかなりダメージが大きいんですよね。
何回も失敗をしてきた大人からしたら大したことのない失敗でも、子供からしたら凄く大きい失敗なんですよね。
なんせ子供は大人に比べ失敗体験が少ない訳ですから、次も失敗したらどうしようとか不安になったり心配になったりします。
このような失敗を乗り越えて人は強くなるのですが、これを乗り越えられずに苦しむ人が多いと思います。
であればどうしたらよいのか、答えは簡単です。
「失敗を失敗と思わせない声掛け」をすればいいのです。
ここからは、私が子供たちに運動指導するときによくやることを書きます。
その名も「すり替え作戦」です。
大人はどうしても子供が失敗した時に「わーーー!」とか「あーーーやっちゃったよ!」とか大きな声で言いがちですよね。
私も娘が家でコップに入った飲み物をこぼした時なんかに「わーーー!やっちゃったーよ!」と凄く大きな声で言ってしまう事があります。
子供が失敗した時に大きな声を出して驚くのは親からしたら普通の事なのですが、失敗したのは子供です。
失敗した時にこのように大きな声を出して驚かれると失敗した子供はめちゃくちゃドキッ!とするんですよね。
そのドキドキから次は失敗しないように気を付けるぞと思ってくれればいいのですが、子供によっては違う方向にいってしまう場合があります。
それが「次、失敗したらどうしよう」という恐怖心です。
子供が失敗した時の親のリアクション一つでこの恐怖心が出るか出ないか決まります。
いわば親のリアクション一つで子供が消極的になるか積極的になるか決まるということです。
私が見てきた生徒の中で凄く怯えた子供がいました。
その子は人前で話すのが苦手で人と話すとどもるような感じになります。
そんな子の親を見るとリアクションがとにかくうるさいのです。
何かあるたびに周囲が驚くくらいの大きい声で「キャー――!」「ワーーーー!」と叫ぶのです。
そんなジェットコースターのような親と一緒に生活していたら子供も安心できませんよね。
もちろん、驚くことは誰しもあるので驚くなとはいいません。
ただそのリアクション一つで周囲に大きな影響を与えていることを忘れてはいけません。
特に子供を育てる親である以上、自分のリアクションで子供が良くも悪くもなることは覚えておいたほうがいいでしょう。
ちなみに、私が運動指導で行うのが「すり替え作戦」です。
例えば、子供同士で風船バレーの対決していたとしましょう。
その際に思いっ切ってアタックした風船がネットの下を通って相手陣地に落ちたとしましょう。
これは相手チームに1点が入るので、失敗アタックです。
この時、大抵の親は「あぁーー!」「はぁーー」とかため息交じりのリアクションをします。
このようなリアクションを子供が聞くと凄く寂しい顔をします。
それもそのはず、一生懸命に風船を追いかけてアタックしたわけで、失敗したくてしたわけではありません。
またその時にかける声掛けも「もっとネットの上めがけて打たなきゃダメでしょ!」と強い口調で言う人いますよね。
これも子供からしたら委縮してしまう声掛けになり、子供は失敗したことに意識がいってしまい、次にアタックすることが怖くなり再挑戦しなくなります。
そんなことにならないように私はこんな声掛けをします。
「凄く力強くていいアタックだったよ!その調子で次はネットの上めがけて打とう!」
これが失敗したことよりも挑戦したこと誉める声掛けです。
このような言葉をかけられると子供は失敗したことよりも誉められたことの意識が強くなるので、次にアタックすることも積極的に再挑戦します。
これぞすり替え作戦です(笑)
私はこのように失敗を失敗と思わせないような声掛けを子供たちにして、子供たちが「失敗したらどうしよう」ということを思わせない声掛けをしています。
もちろん、失敗を失敗と強く認識してもらうためにも大きなリアクションで失敗を強調して指摘する場合もあります。
時と場合によりますが、その時々に応じて使い分けて子供の再挑戦する気持ちを引き出させるようにしています。
このようなちょっとした工夫で子供たちは目をキラキラ輝かせるようになるのです。
「失敗する人は多いが再挑戦しようとする人が少ない、そしてそれを成功させる人はもっと少ない。」
これが現代を生きる人達の境界線で「失敗して再挑戦しようとする人」があまりにも少ない気がします。
何事も失敗した後が大切、失敗して再挑戦して成功すれば達成感を味わえます。
これは一番の達成感です。
しかし、失敗して再挑戦して失敗する場合がほとんどです。
このような場合はどうするか。
ここは頭の使い方です。
再挑戦して失敗したけど、「少しだけ○○が上手に出来てきた」という達成感があればいいのです。
捉え方一つ変えるだけで良くも悪くもなります。
ただし、創意工夫した捉え方をするには観察力が必要になります。
自分や他人を観察して冷静に自分に何が足りないのか考えて、次に何をすればよいのか答えを出す。
その答えを持って再挑戦する、そこで達成できれば一番ですが、また失敗する確率の方が高いでしょう。
そんな時にもまた「少しだけ○○が上手に出来てきた」という達成感があればいいのです。
そんなことを繰り返していく内に失敗を恐れず何事にも向かっていく気持ちが持てるようになるのです。
これこそが自信をもった人間です。
自信をもった人間は失敗を失敗と思わず成長の材料として捉えます。
このような領域になると何事も前向きに捉えることができるようになり、どんな大変な環境でも前向きに人生を心から楽しめるようになるのです。
自分の子供をこのような人間にしたいと思われる方は、ぜひ達成感を味わえる環境を作ってあげてください。
とはいえ、どんな環境がよいのか分からないですよね。
続いては、私が勧める達成感を味わえる具体的な環境についてです。
歩く、走る、自転車に乗る
子供が小学生になる前であれば「歩く」「走る」「自転車に乗る」といった基本的なことを当たり前にできるようにしておきたいものです。
「当たり前」といってもどのレベルが当たり前か非常に難しいですよね。
これは親が無理なく出来る範囲がその子供にとっての当たり前になるのかなと感じています。
例えば、親が10kmを普通に走れればそれがその人の当たり前になり、その感覚で子供にも接するでしょうし、親が1㎞走れるのが普通だったらそれがその人の当たり前にになり、その感覚で子供にも接するでしょう。
前者と後者ではどちらの環境の方が達成感を味わえる回数が多いでしょうか?
私は前者だと思います。
というのも、10km走るのと1㎞走るのとでは走った時間が違うからです。
走った時間が長ければ長いほど失敗する確率も上がりますが、それ以上に達成感を味わえる回数が多くあるので自信もつきます。
これが分かっている人は労力を惜しんで努力します。
人によっては10km走ってそれだけで満足して走らなくなる人もいるのでしょうが、私からしたら凄く勿体ないと思います。
もちろん10km走ってみて感じるものは人それぞれなので何をどうしようと私には関係ないことですが、ただ10km走ったことだけで満足するような人は子供の気持ちは一生理解出来ないでしょう。
事実、そのような人のもとで育った子供ほど小学生になってから苦労しています。
このことに早く気付いて欲しいのですが、なかなか難しいですね。
さて、話を戻して皆さんは「歩く」「走る」「自転車に乗る」といった基本的なことをどれだけ出来ていますか?
「(電動)自転車には乗るけど歩いたり、走ったりはできないわ」
今の世の中はこのような人が多いのかもしれません。
ただ子供に限って言えば全てをバランスよく出来るようにした方がいいと思います。
私の基準は、「5歳で60分歩け、4㎞走れ、20km自転車に乗れる」です。
この基準は大人でもクリアできないかもしれませんね(笑)
それだけ現代人には高い基準です。
もちろん上記の基準を達成するには日頃から努力しなくては絶対にできません。
日常生活で電車やバスを使うところを歩いてみたり、小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんと一緒に走り回って遊んだり、車がいないサイクリングロードを自転車に乗って長時間移動したり、体を動かして遊ぶ時間を1日60分以上は必ずいれる。
そのような環境つくりをしておく必要があります。
我が家ではそのような環境を作って過ごしたので、上記の基準を娘は4歳で達成する事ができました。
これが出来たからこそ心に余裕があるのでしょうか、真新しいものに目をキラキラ輝かせ毎日ルンルン気分で娘は小学1年生を満喫しています。
子供の心を作るのは丈夫な体があってこそです。
丈夫な体の子供に育てて何でも挑戦していく強い気持ちを引き出してあげたいものですね。
とはいえ、いきなり上記の基準に向かって努力しても絶対に上手くいきません。
何事もバランスが大切です。
まずは歩くことから始めましょう。
私も妻も歩くのが好きなので娘も2歳の時からかなり歩きました。
疲れて抱っこして欲しいと言われても、甘やかす事無く歩かせました。
いつもは自転車でいっていたとこを歩いたり、エスカレータを使っていたところを階段で上ってみたり、車で移動していたのを電車で移動して歩く時間を増やしたり、疲れたから楽をするのではなくちょっと体を動かして苦労する。
これが当たり前になってくると体を動かした方が気持ちいいことに気が付けるようになります。
その時こそチャンスの時、いつもやらなかったことに挑戦です。
電柱から電柱の間をヨーイドンと親子で徒競走をしてみましょう。
そこでお母さんとお父さんと一緒に少し走ることができれば子供も喜びます。
とにかく家族で体を動かす習慣をつけてみましょう。
そんなことをしていく内に家族で何かを一緒にしたという達成感が出てきます。
これは子供にとって何よりも嬉しい達成感だと思います。
このような達成感から自信がつき、次はもっと遠いところまで歩いてみる!走ってみる!自転車にのってみる!と自ら発言する子供になるのです。
何事も段階があります。
まずは身近にあるものを利用して子供が達成感を味える環境を作りましょう。
1日で味わえる達成感は小さなものから大きなものまで様々ですが、小さな達成感でも大喜びできるような感情表現豊かな子供にしたいですね。
そのような子供にしたい場合はこんな方法がいいでしょう。
親が大喜びする
嬉しい事があれば周囲を気にせず大喜びするのが普通なのですが、なかなか出来ない人が多いのでないでしょうか。
特に日本人はシャイな人が多いので人目を気にして大きく喜ぶことをしないものですよね。
私もどちらかというとシャイなタイプで、昔から大喜びすることを避けていました。
いわゆる感情表現が乏しい人です。
そんな私も子供たちと過ごす時間が長くなったせいか、嬉しい時には人目を気にせず大喜びできるようになりました。
とはいえ、根がシャイなのでどこかまだまだ遠慮気味の喜び方だと思います。
ただ、子供たちの運動指導の時には多少の演技をして大げさに喜びます。
これをすると子供は何が良くて何が悪いのかはっきり判断できるので楽しく体を動かしてくれます。
大げさに喜ぶ演技をすると言っても、やたらむやみに喜ぶ事はしません。
私が気を付けているのは子供が「出来た瞬間」を見逃さず喜ぶことです。
これにも観察力が必要になってきますから、私は視野を広く保ち子供の動きの変化を事細かくみながら出来た瞬間を見逃さないようにします。
このようなことを繰り返していくと子供からすごく信頼してもらえます。
どこか見てくれているという安心感が子供に芽生えるのでしょうか、私と生徒にはそんな関係性が出来上がっています。
子供はよく親に「みてー」「これできるよー」とかアピールしてきますよね。
高いところからジャンプしてみたり、重い物を持ち上げようとしたり、側転してみたり、これらは子供なりの存在価値を確認する作業です。
人間は誰でも「自分の存在価値」を認めて欲しい物です。
そのような作業を「凄い!」「いいぞ!」と誉めてくれる人がいたら嬉しいですし、自分を認めてくれたと思い子供は自信がつきます。
私はこれを常日頃から子供にしてあげています。
反対に「自分の存在価値」が認められないとどうなるのか。
大抵の場合はグレます(笑)
グレ方は人それぞれ、校舎の窓ガラスを割ったり、改造バイクを乗り回したり、全ては自分の存在価値を確認する作業です。
このような作業は褒められるべき行為ではないので誰からも認められません。
そんな現状にグレタ子供はエスカレートして悪行を重ねいつしか誰からも相手にされなくなり、周りにいるのは悪行を重ね続けてきた人達ばかりになります。
私の育った時代はまだ暴走族がいた時代でしたから、中学校に多くのグレタ子供たちがいました。
「あいつ生意気だからしめる」「どこのクラスの○○がボコられた」「先輩が○○を体育館裏に呼び出してボコボコにした」
こんな言葉が飛び交うのは日常茶飯事です。
私は、そのような子供たちを観察しながらグレタ子供を出さないようにするにはどうしたらよいのか、よく考えていたものでした。
「グレタ子供は親に認められない日々を過ごした」
これが私の出した結論です。
これからの時代にグレタ子供を増やさないためにも、日ごろから親は子供の出来た瞬間を見逃さずしっかり観察する必要があるでしょう。
とはいえ、今の子供のグレ方は昔のような元気のあるグレ方とは違います。
今の子供のグレ方は「無気力、無関心、無反応」というグレ方です。
何をするにも元気がなく関心がない、話を聞いても何も答える事無くただ佇むだけ・・・
口癖は「べつにどっちでもいいよ」「疲れたからいいや」です。
体力がない子供たちのグレ方は、大暴れするのではなく無気力人間になります。
このようなグレタ子供は低年齢化していき小学低学年の頃に現れるケースもあります。
昔は中高生でグレタ子供が、今は9歳くらいでグレています。
このケースのやっかいな点は、昔のように目立つグレ方をしないのでグレタ子供だと認識しづらいところです。
だからこそ、6歳までの過ごし方が重要で、以前のブログ「小学生になる前にやるべき事」は非常に大切なことだと思います。
子供に自信を持たせるのって本当に大変ですね。
大変だからといってこんなことはしないようにしましょう。
「何でもかんでも誉める」
よく子供が何か少しでも出来たら喜ぶ親を見かけますが、こればかりをしていると子供は調子にのって親を甘く見るようになります(笑)
我が子になめめられている親って多いですよね。
ピラミッド型の組織図であれば昔は父親が一番上にいる存在だったのが今や一番下にいて、頂点は母親もしくは子供になっている。
これも子供が怯えるほど叱りつけることが少なくなった現代の父親の行く末でしょうか、父親の威厳は地に落ちたようにもみえます。
正直言って、このような父親になりたくありません。
このようになりたくなければ誉めるだけでなく、叱るべき時には叱りましょう。
なんでもバランスが大切です。
ただ大げさに喜べばそれでいいという訳でなく、誉める時、叱る時、その時をしっかり見極める観察力で今何をするべきか考えて子供に接する必要があるでしょう。
子供を育てるのは本当に大変です。
子供といっても一人の人間を育てる訳ですからマニュアルなんてありません。
日々変わる環境変化の中で生きているのが子供であり人間です。
人それぞれ、その日の体調や心境で考え方もコロコロ変わりますから親はどんなことでも臨機応変に対応出来るような状態にしておきたいものですね。
そんな大変な子育で臨機応変に対応するには何といっても親の体力がなくてはいけません。
ここまで子供の体力低下を指摘してきましたが、子供以上に親の体力低下の方が深刻です。
ちょっとしたことで「疲れた」と言い、ちょっと歩いただけで「少し休もう」、重い物を持ち上げたら「腰が痛い」と言います。
そのような親と一緒に過ごす子供からしたらそれが当たり前になり、それが基準となり体力がないことが当たり前になっていってしまいます。
こんな状態にしない為にも、親が体力を付ける必要があります。
日常生活や仕事に追われて体をボロボロにしているお父さん、お母さん、仕事以上に大切なことがありますよ。
それが自分自身の体です。
首が痛いから運動出来ないとか、腰が痛いから歩けないとか、膝が痛いからエスカレータにのるとか、体の痛みや持病を言い訳にして体力を付ける為の運動を避けるのをもうやめにしませんか?
ちょっとした妥協が数年後には大きな苦労へと繋がっていき、後悔する人生を歩むことになります。
自分自身の体に問題があると気付いたなら、薬や湿布に頼らず自分自身の悪い行いや悪癖を無くす努力をしましょう。
自分自身の悪いとこを直すのは本当に大変です。
初めは上手くいかない事もあるかもしれません。
ただ、そんなことでも諦めず頑張ればちょっとした達成感を味わえます。
そのちょっとした達成感で自信がつきますし、子供に対して何をすればいいのかもはっきり分かると思います。
また、近くで見ている子供もどんなことにも前向きに取り組む親をみて、子供も頑張ろうという気持ちになるでしょう。
親の基準が高ければ子供の基準も高くなり、親の基準が低ければ子供の基準も低くなります。
子供に自信をもって生きて欲しいと思うなら、親が自信をもって生きましょう。
子供はその背中を見て勝手に育って行くものです。
このことを理解して子育てをすれば無駄な悩みは消え、やるべき事だけに集中できるようになり日頃からちょっとした達成感を味わえて幸福感を覚えてくると思います。
幸福感を覚えて育った子供は本当に素直で純粋で勤勉です。
そんな子供にするためにも今回の記事に書いてあることを実践してみてはいかがでしょうか。
ちなみに、親の体力をつけるのに最適なのがセントレです。
詳しくはこちらをご覧ください。
体力をつけるといってもやたらむやみに体を鍛えるのはやめたほうがいいでしょう。
とくに、ヨガやストレッチが体に良いと思っている方が多いかもしれませんが、それは大きな間違いです。
ストレッチは運動能力を低下させると米国の論文でも証明されていますし、ヨガについては大麻を吸いながら行うガンジャヨガなるものがニューヨークでは流行しているようで明らかに体に悪いことをしています。
ヨガをただ単に柔軟性をつける為のものと思って始めると体を壊して痛い目にあいますので、ご注意ください。
詳しくは過去のブログ記事「ヨガやストレッチは体に悪い」をご覧ください。
何でもかんでもテレビや有名人の言う事を信じる事無く、自分自身の感覚を研ぎ澄まして答えを導きだしましょう。
ちなみに、セントレは体の軸を手に入れ正しく体を動かす方法を教えています。
セントレを継続したことで「感覚が研ぎ澄まされた」と実感される方が多くいますので、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。
以上が「子供に自信を持たせる方法」です。
不安や心配を抱える子供に対して、自信をもった親が「大丈夫」というのと、自信がない親が「大丈夫」というのでは雲泥の差です。
どんな時も自信をもって子供に「大丈夫!」と言える親になりたいものですね。
そんな親のもとで育った子供は自然と自信をもって何事も前向きに歩んで行くのではないでしょうか。
一人でも多くの親子が心配や不安なく前向きに歩んで行けるようにと願って今日のブログを書きました。
どこかの誰かの役少しでも立てたら嬉しいです。
一緒に頑張っていきましょう!
それでは、またの更新お楽しみ。