小学生になる前にやるべきこと
桜の花びらも散り始めた今日この頃、早いもので私の娘も6歳になりいよいよ小学生です。
大人からしたら晴れやかなで清々しいと思える小学校の入学ですが、子供はとても不安で大人の目には見えない何かと戦っています。
大人から子供まで実に様々な年齢層の方々と話す機会がある私は、子供たちが感じやすい「目に見えない何か」を少しだけ感じ取る事ができるので、人知れず娘が何かと戦っているのは凄く分かります。
こればかりは生きている以上ついて回るものですから私ごときがどうこうできるものではないのですが、ただその目に見えない何かとの戦い方というのは教えることは出来ます。
これでも私は娘より長く生きて来たので目に見えない何かとの戦いはたくさんしてきたつもりです。
負ける時もあれば勝てる時もあり、まさに毎日が目に見えない戦争を繰り返してきたような感じです。
こんなことを誰にいっても理解してもらえるものではないので、私は基本的に誰かに相談することはせず、ここまで生きてきました。
もちろん、諸先輩方の話を聞くことや行動をみることは他のどんな人よりもしてきました。
いわゆる人間観察というのでしょうか、これは勉強がまったく出来ない私が唯一真面目にやってきたことでもあります。
「この先輩は何を考えて生きているのだろう」
「あの先輩は何の為に生きているのだろう」
私は小学生の頃から諸先輩方の言動や行動をみて、こんなことを考えながら生きてきました。
そして、良い先輩と付き合い、悪い先輩には近づかず、良い先輩のいい所を真似して悪い所は反面教師として日々の生活に役立ててきました。
その甲斐あって人間は何をすると良くて何をすると悪いといったことが明白に分かるようになり、今はとてもシンプルに生きていく事ができています。
また頭がおかしい奴だと思われるかもしれませんが、私は自分の人生をどこか上空から見ているような、いわゆる俯瞰しながら生きる感覚を掴めるようになってきていて、自分の人生を歩んでいながらも他人の人生を歩んでいるような感じというのでしょうか、何か自分の使命を達成する為に生かされている感じがしています。
「人は使命感をもって生きると強くなる」とよく聞きますが、まさにその通りで現在の私は日常生活でおきる些細なことで不安に感じたり悩んだりすることがなくなりました。
このように出来るようになったのも体の軸がしっかりして脳が正常に働いている証拠でもあるのでしょうか、今後も大変なことがあると思いますが、それも全て自分自身を強くする為の材料と捉えて「何でも来い」と、苦しく大変なことでも楽しみながら日々を送っていけそうな気がしています。
このようなことを全員が全員できれば凄く良い世界になりそうなのですが、そうともいかないのが現状です。
私は諸先輩方から学びながら生きてきましたが、私の生きていた時代の諸先輩方は今の時代では考えられないくらい正々堂々としていて、とっても真っ直ぐに常に前向きに生きている方々ばかりでした。
しかしながら、今の時代はそのような先輩を見つけるのが非常に難しい気がします。
人間は周囲の影響次第で良くも悪くもなると考えている私にとって今の時代で生きている子供たちがとても不憫でなりません。
というのも、娘は小学校に入り教師に教えを乞う立場になるのですが、その教師がろくでもない人間だったら娘もろくでもない人間になるでしょう。
また、生活を共にする友達がろくでもない人間だったら娘もろくでもない人間になるでしょう。
これは当然ながら反対の立場からも言えます。
うちの娘がろくでもない人間だったら、周囲の友人に悪影響を及ぼし素直で純粋な子供がろくでもない人間になっていきます。
うちの娘がろくでもない人間だったら、志を高くもった教師の精神状態を悪くさせ場合によっては仕事を辞めるか命を絶つかの選択をさせてしまうことになります。
大げさかもしれませんが、まさに今の教育現場はそのような状態です。
というのも今の教育現場は教師の離職率が非常に高くなっていて、小学校によっては先生の数が足りない状況がうまれ他の教師が激務に追われ子供たちに目を向けてあげられない状態があるそうです。
こんな現場へ6歳の子供たちが飛び込んでいくわけですから、感覚の鋭い子供は相当不安で行動もおかしくなっていくでしょう。
そんな異常行動を示す我が子をみて親は心配になり、病院や精神科へ連れていくのでしょうが、そんなことで治るものでもない気がします。
しかしながら、このような殺伐とした教育現場にしたのは誰のせいでしょう。
ある人は学校が悪い、ある人は教育委員会が悪い、ある人は政府の方針が悪い、ある人は子供が悪い、ある人は親が悪い、このように様々な意見があるでしょう。
このような意見はその人の立場によって言う事もそれぞれ違うので、私はどれも正解だと思っています。
ただ一つ共通して言えるのは「全ての責任は人間」にあるということです。
つまり、学校や教育委員会や政府や子供や親など全ての人間に責任があるということです。
それなのに自分は悪くない、あの人が悪いと外向きに責任転嫁をすることばかりしていたら何事も良い方向には改善しませんよね。
「自分に非があることを潔く認め、その悪い癖を直す努力を徹底的にする」
こんな単純なことで何事も良い方向へいくはずなのに、人間は自分にとって都合のいい解釈をするのでなかなか自分自身で責任をとることが出来ません。
とはいえ、全ての責任は人間にあるといっても自分の何が良くて何が悪いのかはっきり分からないものですよね。
いわゆる自分自身を客観的にみることが出来なければ責任をもって生きていけないのです。
しかしながら、自分自身を客観的にみるって凄く難しいですよね。
私も常に自分自身を客観的にみる努力をしていますが、なかなかうまくいきません。
だからこそ信頼をおける第三者の意見に耳を傾ける必要があるのですが、これも素直に謙虚な姿勢で聞き入れることができない人が多いと思います。
私はどちらかというと第三者として意見を述べることが多い立場なのですが、ただ意見を述べることだけをしません。
その述べた意見を元に私自身も一緒に取り組みます。
例えば、私が子供たちの悪いとこを見つけたとします。
その際、私は子供たちにそれを包み隠さずすぐ指摘します。
そして私が子供たちにやるようにと言ったことを私自身も一緒に取り組みます。
これをすると面白いもので子供に言ったことが自分にも当てはまる事が多く、自分の悪いところを改善することができるようになるのです。
これは娘に対しても同じです。
母親が娘に悪い所を直すように指摘したとします。
私はそのことを我が事のように聞き、私も娘と一緒に悪い所を直す努力をします。
するとどうでしょう、娘の悪い所がしっかり直っていくではありませんか(笑)
これは、「娘が悪いのは親の自分が悪い」からだと思って行動するようになると、それを娘は自然と真似するのですね。
まさに親の背中をみて子は育つというのを痛感します。
だからこそ「親は言うだけでなく自分からやることが大事なんだ」ということですね。
これはスポーツ鬼ごっこの大先輩である「オヤジーズ」の皆さんからの教えです。
あのオヤジたち、いつもヘラヘラ笑いながらふざけているようなことをしていますが、物凄く重要なことを教えてくれています。
このように私は様々な人間を観察しながら日々を過ごしていて、良いことは真似して悪いことは真似しないように生きてきました。
その甲斐あって私の中には様々な人達がやってきた良い事だけが出来るようになってきています。
もちろんまだまだ自分の悪いところはあるので改善する努力は惜しみません。
毎度の事で大変恐縮ではございますが、前置きが長くなりました(笑)
しかも今回は深い話の前置きになってしまいましたね。
皆さん前置きで読み疲れていませんか?(笑)
まだ平気だという方は、今回のブログ記事「小学生になる前にやるべきこと」を最後まで読んで頂ければ幸いです。
ここまでの前置きを元に書いていきますが、今回のブログ記事の内容は私がやってきたことを書いています。
なので、人によっては受け入れがたいこともかもしれません。
もちろん、私がやっていることの全てが正解ではないのは百も承知しているので、全てを真似してくださいとは言いません。
ただ誰かの何かに少しでも役に立てばと思って書いていますので、興味がある方はどうぞ最後までお読みください。
人間を育てる意識
今の時代は子育てに対する考えが実に様々で、何が正解で何が間違いか分からない時代です。
自分の子供をまるで着せ替え人形やペット感覚で可愛がり、危ない事はさせず子供が大変なことは何でも親がやってあげるのが今時の子育ての普通でしょうか。
昔は生きていくのに必死で大人たちは子供の事なんて構っていられない時代でしたから、子供は自分のことは自分でやらなければ親や周囲の大人からめちゃくちゃ怒られていました。
また昔は大家族で暮らしながら子育てをしていたので、祖父母の教えがベースになっていたので、今では考えられない厳しいことを子供たちにしてきたと思います。
そんな厳しい指導があるからこそ人は強くなれるのですが、厳しい指導も人によっては受け入れられないことが多いでしょう。
昔の慣習やしきたりを守る事が大事だと思う祖父母に対して、何かに縛られることを嫌う現代人は祖父母を忌み嫌い、姑問題を解決するべく核家族で子育てをする人達もいるでしょう。
「良き穂は残し、悪い穂は排除する」
これが五穀豊穣の教えだとするならば、慣習やしきたりも同様で良き慣習は継続して行い、悪い慣習はすぐにでも排除することが良いと思うのですが、伝統という言葉を巧みに使い良いも悪いも全て一緒にして悪い慣習を排除する事無く継続している事が多く、そのような慣習が人々を苦しめているような気がします。
そういう意味では大家族よりも核家族の方がそれぞれの人達の意向通りに事を進めていけそうですね。
ただ基本となる祖父母の教えを失うと何をしたら良いのか分からなくなり、子育ても何をしたらよいのか分からず悩む母親も多くいる様です。
そのような母親は子育てのベースを作るべく、ネットやテレビ、雑誌や書籍、友人などからの情報を元に子育てをします。
ここで子育てのベースとなるものが正しければ良いのですが、様々な人が色々なことを言っていて何があってるのか分からなくなり頭を悩ますことが往々にしてあります。
まさに私の妻はそのような状態になっていて非常に苦しんでいました。
特に娘が2、3歳の時が一番大変だったようで、何もかも上手くいかない状況に常にイライラしていました。
そんな中、妻の救いとなったのがからだ塾の目と耳の体操教室に通う先輩親子の姿でした。
今年で開業6年になりますが、実に様々な親子を見てきました。
たくさんの親子をみてきて感じたのが「親の立ち居振る舞い全てが子供に影響を与える」です。
なので親が子供に悪影響を与えない立ち居振る舞いをしなければいけません。
これは至って当たり前のことなのですが、当たり前のことを当たり前にできないのが人間でもあります。
では、どのような親の立ち居振る舞いが子供にとって良いのか、ここからはそんな話をしていきたいと思います。
まず、「子供を育てるという意識を無くす」ことです。
この意識を無くすことは非常に難しいですが、私は娘が2歳くらいの頃に子供を育てる意識を無くしました。
そんなことしたら親ではないと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
私は「娘の事を一人の人間として認識」しています。
つまり、私は子供を育てる意識ではなく、人間を育てる意識に変えました。
このような意識を持つと「子供に何でもしてあげる」子育てではなく、「子供自らで出来るようにする」子育てに変わります。
例えば、娘が2~3歳の頃には洋服の着替えや靴の脱ぎ履きなどを全て自分できるように何でも娘にやらせました。
4歳では自ら料理が出来るように食材を包丁で切らせたり、自分の荷物は自分で持たせて歩かせたりして、小学生になる前に一人でも生きていけるような様々な取り組みをしてきました。
このような取り組みを2歳くらいから4年間行った結果、親に甘えることなく自分のことは自分で行える自立した子供に育てることが出来たのです。
もちろん、まだまだ娘は親に甘えますし、まだまだ親も娘に甘いので改善の余地はありますが、ひとまず小学生になってから娘が困らないような教育はしてこれたかなと思っています。
このようなことを書くと「ストイックな家庭」と思われるかもしれませんが、私はこれが普通だと思っています。
むしろ、現状ではまだまだ小学校の担任の先生を困らせてしまうことがあるでしょうから、まだまだやるべき事を探していかなくてはならないでしょう。
自分の事は自分で何でもするのが小学生、誰か助けてくれると思ったら大間違い、自分の人生は自分で切り開いていくのです。
まるで、昭和の子育てですかね(笑)
いやいやあの時代の子育てに比べたらまだまだ甘いでしょうね。
これが娘が小学生になるまでにやったことの一つです。
もちろん、娘を一人の人間だと認識して育てるには自分自身もしっかり育てなくてはいけません。
私自身も親である前に一人の人間です。
親になったから偉いとか、親になったから自分という人間を育てる必要がないとか、私はそんなことは微塵も考えた事がないです。
常に自分自身を育てることを毎日やり続けました。
「娘に言う前に自分がやる」
これは何気ない生活でも意識してやってきたことです。
なので、娘に厳しくする以上、自分にも厳しくして6年間過ごしてきました。
これまた他人から見たら「ストイックな人」と思われるかもしれませんが、本人は普通のことと捉えていてめちゃくちゃ楽しみながらやってきました(笑)
よく子供を自立させたいと願う親がいますが、それは親の意識改革をしなくてはいけないのかもしれません。
子供の自立を願う親御さんは、ぜひ子供を育てる意識から人間を育てる意識にして、子供以上に自分自身も育てる意識で生活してみてはいかがでしょうか。
1年前の自分と比べて何も成長できていないと感じる親御さんはぜひ意識改革をしてみてください。
そのような自分自身の改革こそが子供の自立につながります。
耳の痛い話ほど図星のことが多いので、素直に聞き入れて実践してみると激変しますよ。
他にも、娘が小学生になるまでにしてきたことがあるので書いていきます。
脳を守り、体を動かす
今の日本は本当に異常で、子供たちにとって悪影響を及ぼすものが実に多くあります。
質が悪いのが、悪影響を及ぼすのにあたかもそれをするのが普通の事のようになってきていることです。
ましてや、流行という名のもとそれをしないと時代遅れのような風潮を作り出す傾向を感じます。
私たち庶民が知らないところで3S政策なるものが日本で行われている以上、一人一人の意識改革が必要な時期になっているようです。
しかしながら、私たちの意識改革を妨害するものが身の回りにはたくさんあります。
皆さんは朝起きてリビングにいったらまず何をしますか?
ほとんどの方が当たり前のようにテレビのリモコンを手にしてテレビをつけると思います。
残念ながらその時点で脳を守れない状況になります。
というのも、テレビは1分見るだけで脳波がα波になります。
α波とは寝ている時と同じ状態の脳波を指すのですが、怖いのがテレビを見ているということです。
私も以前はよくテレビを見ていましたが、その頃を思い出すと頭がボーっとして何もする気がおきなくなるのです。
いわゆる切り替えが悪い人間になり、たいして面白くもないテレビをいつまでも見続けてしまい気がついたら2~3時間たっていたなんてことがざらにありました。
これは子供も同じです。
私は様々な子供を見てきましたが、切り替えが悪い子供が多いこと・・・
そして、そのような切り替えが悪く人の話を聞かない子供の状況をみて悩む親も多い。
その原因がテレビにあるわけですから、すごく質が悪いですね。
では、子供にテレビを見せないようにするしかないですね、なんて簡単にはいきません。
それもそのはず、テレビを見るのは子供だけでなく親も見るからです。
なので親がテレビを見ない習慣を身に付けなければ、子供はテレビを見続けて切り替えが悪い状態になるのです。
テレビを見ない、テレビを見させない、これをするのは非常に難しいですよね。
私も妻も幼い頃からテレビっ子だったので、テレビを見ないなんて考えれないと思っていました。
ただ、テレビを見ないことが習慣化されていくと頭の切り替えが凄く良くなるので、今ではテレビを見なくても日々の生活を凄く楽しめていて娘も切り替えが早くなり、聞き分けが良く、とても賢くなっています。
とはいえ、突然テレビを子供に見させないというのは無理があると思います。
我が家でも「朝30分、夜30分はテレビを見ていいよ、食事の時はテレビは見ないようにしようねー、テレビを見ない時は絵を書いたり、体を動かしたりして遊ぼうねー」と娘に呼び掛けて脳を守ることをしてきました。
するとどうでしょう、娘も自然とテレビよりも絵を書いたり体を動かしたりすることを楽しいと思うようになり、自然とテレビを見なくなっていきました。
今では我が家のテレビはただの置物状態で、コンセントも抜かれたままになっています。
このように子供にとって害になる何かをやめさせるには、それ以外の楽しみを見つけて親も一緒に取り組むことが必要になってくるようです。
先日行われた小学校の入学式でも校長先生や担任の先生が「テレビ、ゲーム、スマホなどで遊ぶのではなく、体を動かして遊びましょう」と呼び掛けていました。
今は車でもテレビが見られるので、子供たちの脳を守るのはとても難しい時代です。
本気で子供たちの脳を守るには、各家庭で真剣に取り組まなければできないでしょう。
「テレビを見ないなんて楽しくないでしょ?」と思われるかもしれませんが、今の私はテレビを見ること自体が苦痛でしかたないです(笑)
というのも、私は感覚が鋭いので分かるのですが、なんかテレビからの電波が凄く強力で酷いときには頭痛が起きるんですよね。
まさに脳が壊されていく感覚が分かるというのでしょうか、昔はこんな感覚わからなかったのですが、日頃から体の感覚を高める努力をしてきた甲斐あって体に悪いものが分かるようになりました。
テレビを見ると頭痛がでて苦痛だと感じるなんて人、皆さんからしたら異常ですよね(笑)
ただ、私からしたらそんなテレビを何時間も見られる方のことを異常だと思えてしまう訳で・・・
ちなみに、テレビほどではないですが、ラジオもたまに苦痛に感じる時があります。
なんか私の脳は世の中にある悪いものを感じ取れるほど敏感になってきているようです(笑)
やはり、自分自身の感覚を高めることが最大の健康管理ということですね。
また子供に悪影響を及ぼすものが何かもすぐに分かるので、子育てにはもってこいですから皆さんもぜひ感覚を高める健康管理やってみてくださいね。
尚、テレビが脳に悪いからといってテレビを見なければいいかというとそういう訳でもありません。
テレビを見ること以上に楽しいと思えることを見つけなくてはいけません。
それが子供であるならば、体を動かすことが楽しいと思えるようになるのが一番いいでしょう。
というのも、体を動かすと脳の磁石が刺激され体に流れる電気開発ができるようになり、心身ともに健康な状態になれるからです。
これについては過去に書いたブログ「脳は発電機」「人間は電気で動く」をご覧ください。
このように人間の構造からしても、娘の通う小学校の校長先生や担任の先生が言っていた「テレビ、ゲーム、スマホなどで遊ぶのではなく、体を動かして遊びましょう」は凄く重要なことだと思います。
ただ、この言葉の重要性を深く理解出来ている保護者はどれだけいるのでしょう。
おそらく右から左へ聞き流す保護者が大半でしょう。
「全ての責任は人間にある」
この言葉も深く理解して欲しいものですね。
さて、つづいて娘が小学生になるまでにしたことを書いていきます。
先輩といる時間を増やす
これは娘が小学生になるまでに一番やっておいてよかったことだと思っています。
私は6年前にからだ塾を開業したのですが、それ以前は年商1億円を超える企業に勤めていてそれなりの給料を頂き、20代という年齢にはそぐわないくらいの役職を頂いていました。
おそらくそのままその企業に勤めていればお金には困らない生活ができていたことでしょう。
ただ私はそれを捨てて独立しました。
それはなぜか。
いろいろな理由がありますが、一つは娘のためでもあります。
いくらお金を稼いだところで娘が育っていく環境が悪ければ良い人間には育って行かないでしょう。
ちょうど私が独立しようと決めた時期に3.11の東日本大震災がありました。
ある意味、これをきっかけに「このままではヤバい」と本気で思いました。
その当時は放射能汚染で「ヤバい」と思ったのもありましたが、なんか第六感がはたらき「日本やばいぞ」と感じたのも正直なところです。
あれから8年経ちますが、3.11の地震のことや放射能汚染について色々調べていったら、3.11が自然災害ではなく人災で放射能汚染は危険でもなんでもないことを知りました。※詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
それを知り当時の第六感もあながち間違ってはいなかったと思いましたが、それを知ったからといってどうするよということになるのですが、私はとにかく身近な環境を変えようとしました。
その一つが娘の環境です。
娘の環境で一番初めに変えなければいけないと思ったのが、子供たちの体力低下です。
娘の住む市川市は千葉県でも体力テストが最下位で、子供たちの体力が最も低下している地域です。
中学校の部活も1日1時間と決められていて、「水曜日はノー部活デイ」という訳の分からない方針が市川市では打ち出されています。
これにより近隣の子供たちとの体力差が出てしまい、市川市の子供たちは非常に苦しい思いをしているのです。
このような現状を変えなければいけないと決意して私は、6年前にからだ塾を開業して市川市の子供たちが苦しまないように体を動かして遊べる環境つくりに奔走してきました。
はっきりいってこのような活動はお金になりません。
給料は以前勤めていた頃に比べ半分以下、車も売り旅行も行かずそれでも私は走り続けました。
その甲斐あって少しずつ子供たちが体を動かして遊べる環境が整ってきました。
そして、このような活動をとおしてお金以上の財産を手にれることが出来ました。
それが「先輩といる時間」です。
私は娘に最高の時間を作ってあげる事ができました。
スポーツ鬼ごっこのチームであるTeamからだ塾の活動では小学6年生のお兄ちゃんやお姉ちゃんと過ごす時間が増えたり、公式戦などでは自分よりも大きい高学年のお兄ちゃんお姉ちゃんに立ち向かっていく時間が増えたり、チームメイトの親御さんと過ごす時間が増えたり、実にたくさんの先輩と過ごす時間が増えました。
これは私たち親にとっても最高の時間です。
子供を育ててきた先輩の親御さんからは、親とはどういうことで苦労するのか、何をすれば子供にとっていいのか、何をしたら子供にとってよくないのかを教えて頂く時間が増えました。
これは朝7時に職場へ行き、夜10時過ぎに自宅へ帰ってくる生活を余儀なくされていた以前の企業に勤めていたら絶対に出来なかったことだと思います。
娘が小学生になるまでにやっておいてよかったこと、それは娘と過ごす時間なのかもしれません。
娘と過ごす時間といっても、いつもべったり娘とくっついていたいというわけでなく、共に人間を成長させていく時間を増やすということです。
娘は保育園から小学生になるのですが、この期間の過ごし方は人間にとって非常に重要な時期です。
小学1年生でやれるべきことを自分一人で出来れば自信になります。
人間はこの自信があるかないかで生きていく道が変わってきます。
さまざまな場面で私には出来ないと思うか、私は出来ると思うか、この二者択一で人生は決まります。
私は小さい頃から変な自信があったので、さまざまな場面での選択を迷わずズバッと決める事ができました。
これも先輩を常に見ていたからというのもあるのでしょうか、どのような生き方をすれば良い方向にいけるのか知らず知らずのうちに理解していたのかもしれません。
とはいえ、常に成功していたかといえば全くそんなことはありません。
むしろ失敗ばかりです。
ただそんな失敗に対してもくよくよしません。
むしろ、くそ――!と思ってやり返してやるー!という気持ちで生きてきました。
これは、幼い頃から空手で低学年のころに中学生と戦っていた経験が役に立っています。
まさに先輩と過ごす時間です。
いろいろなことがあり今がありますが、ひとまず娘には先輩と過ごす時間を作ってあげることが出来てきているようです。
そんな時間を過ごす中で娘がどんな選択をしながら生きていくのか、それが私の楽しみの一つでもあります。
人によっては子供に失敗させないような人生を歩ませたいと思うのでしょうが、私はちょっと違います。
私は娘に失敗してもいいから後悔しない人生を歩んで欲しいと思っています。
後悔といっても捉え方は人それぞれでしょうが、私は「今を全力で生きれば後悔はしない」と思っています。
人間は誰でも失敗するもので、その失敗を恐れていたら全力を出せません。
また失敗しても再び挑戦しなければ成功できませんので、常に失敗を恐れず挑戦する気持ちをもつ必要があるのです。
簡単にいえば何事にもめげず頑張る気持ちが大切ということでしょうか、言葉にするととても簡単そうに見えますがこれが一番難しいんですよね。
私は失敗しても再び挑戦できるような環境を娘にこれらかも作っていきたいと思います。
そして、娘のこと以上に自分自身という人間を育てる努力を惜しまずやっていきます。
といったところで、最後におさらいです。
娘が小学生になる前に、私が6年間やってきたことは・・・
1、人間を育てる意識を持つ
2、脳を守り、体を強くする
3、先輩と過ごす時間を増やす
これが正解かどうかは分かりませんが、今の私が出来る事を全力でやってきたので後悔はありません。
もちろん、これから先もやるべきことはあるので現状に満足はしていません。
これからも環境整備に勤しみます。
今回のブログで子供を持つ親御さんの何か少しでも役に立てたなら幸いです。
またの更新お楽しみに!