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心はどこにある?

前回の記事では「体と心の話」について書きました。

 

体と心は繋がっているとよく言われますが、私もそのように思います。

 

なぜ、そのようなことが言えるのか。

 

難しい話は抜きにして、ただ単純に体の調子が良ければ心も調子が良くなりますし、心の調子が良ければ体の調子も良くなると私自身が実感しているからです。

 

また、その反対もありますね。

 

体が痛かったりだるかったりして体の調子が悪ければ、考える事は後ろ向きな事ばかりになります。

 

そして、心の調子が悪くなっていけば、体にも不調が出てきます。

 

このように、体と心はただ単純な関係性なのですが、現代人は体と心の問題で苦しむ人が後をたちません。

 

なぜそのようなことになるのでしょうか。

 

答えは簡単です。

 

体と心の問題に対して、正しい解決方法を誰も知らないからです。

 

それもそのはず、体の問題に対して医者が正しい解決方法を教えてくれるならもっと病気は減るはずです。

 

心の問題に対して、心理カウンセラーや宗教家が正しい解決方法を教えてくれるならもっと幸せな人がたくさんいるはずです。

 

しかし、今の世の中はそのようになっていません。

 

病院へ通う人が増え、国民医療費も年々増え、電車に飛び込んで自殺する人も増えています。

 

残念ながら、このような問題を全て解決してくれる人はいません。

 

では、私たちはどうしたらよいのでしょうか。

 

ここからは私が考えた解決方法です。

 

ですので、全てを鵜呑みにしないで共感できることがあったら試してみてください。

 

体と心の問題を解決出来ないのはなぜかと考えた時に、ただ単純に「疲れやすい生活を送っている」から解決できないと考えました。

 

もちろん、マッサージや温泉などで疲れた体を癒すことも必要なのでしょうが、それでは根本的な解決になりません。

 

では、どうしたらよいか。

 

それは、「疲れない体の使い方」を知ることだと思います。

 

これは私の専門分野なので過去のブログ記事を読んで頂ければ分かると思いますので、詳しい説明は省きます。

 

そして、体と心を繋ぐ仲介役は「言葉」であると前回の記事では書きましたが、疲れた体を持つ人が話す言葉と、疲れない体を持つ人が話す言葉とでは受ける印象がまったく違います。

 

ですので、一人一人が疲れない体を手に入れる努力をして、話す言葉を少しでも良くしてくれたら世の中がどれだけ変わるか・・・

 

「痛い」

 

「めんどくさい」

 

「イライラする」

 

「疲れた」

 

世の中に蔓延するこの言葉が少しでも減ったらどれだけみんなの心が変わるのか・・・

 

なんて期待めいたものを日々考えている私です。

 

もちろん疲れない体を手に入れるだけで体と心の問題を全て解決できるとは思っていません。

 

ただ疲れない体を手に入れることが出来たら、自分の人生を良くしようと努力する人が増えてくるのではないかと思っています。

 

そんな人たちが増えていったらきっと世の中に体と心の問題で悩む人が減っていくのではないでしょうか。

 

そんな単純で簡単な話だったら誰も苦労しないとは思いますが、世の中にはそんな単純で簡単なことさえもやろうとしない人が多い気がします。

 

もちろん自分の体を良くしようと思う人は多いのでしょうが、それは見た目や外見を意識した目的ばかりで、どこか違う方へいっていると思うのは私だけでしょうか。

 

もっと根本から自分の体と向き合って欲しいと私は思います。

 

なんて偉そうに言っている私もまだまだへなちょこです。(笑)

 

もっと疲れない体を手に入れて、もっと誰かの為に役立てることをしていきたいと思います。

 

ということで、体と心の問題を解決する方法の一つをご紹介しました。

 

もし共感できた方は是非試してくださいね。

 

ちなみに、からだ塾では疲れない体を手に入れる方法を具体的に教えています。

 

興味のある方は下記をクリックしてご覧ください。

トレーニング施設

 

 

 

 

 

さて、体のことはある程度分かってきた私ですが、心についてはあまり分かっていません。

 

ですので、今回は心はどこにあるのか考えてみました。

 

心はどこにあるのか。

 

この質問に答えてくれる団体がありました。

 

それが日本心理学会です。

 

-----------------------(以下、日本心理学会より転載)

Q.心はどこにあるのですか?

 

大学に入って心理学を勉強し始めました。「私には心がある」という感覚に疑いはないのですが,その心はどこにあるのでしょうか。やはり脳でしょうか。

 

A.森 直久 

心の場所探しの歴史は古く,たとえばアリストテレスは胸(心臓)にあると考えました。

好きな人を想像して胸がドキドキすることがありますよね。

医術の祖ヒポクラテスはにあると考えました。

あなたを含めた現代の多くの人たちと同じです。

これに対して,心を別個の存在として認めようとする立場もありました。中世の哲学者ルネ・デカルトはの存在を公言しました。

でも脳とは別の心って何なのでしょう。

どこにあるのでしょう。

そもそも場所探しという問いかけが間違いだと言ったのは,ギルバート・ライルという哲学者です。

心の場所探しをするのは,大学を構成する建造物と大学という機能を同一視する誤り(カテゴリーミステイク)であるという,比喩を使った彼の主張は説得的です。

これは機能主義という立場です。

心とは脳というハードウェアを基盤として成立するソフトウェアであるとみなす,初期の認知科学で散見された見解もこれです。

でも結局,外側から人間の振る舞いを見たとき,心があるように見えるだけであって,実際には物理的実体である脳だけがあるのではないかと反論がなされるかもしれません。

特定の精神活動と対応して活性化する脳の特定部位があったり,脳細胞の変質と精神機能の低下が相関したり,近年の脳研究の成果は,心とは脳であるという言明を強く支持しているようにみえます。

これは還元主義という立場です。

心理学は脳科学に吸収されてなくなってしまいそうですね。

でもちょっと考えてみてください。

心の境界はどこになるのでしょう。

心が物理的作用だとすると,物理的作用は脳内部にとどまらず,脊髄,末梢神経,感覚運動器官へ,さらに皮膚からそれと接する環境へとつながっています。

どこで区切ればよいのでしょう。

脳科学者である大谷悟さんは,ためらいながらもこのように言います。「(こころという感じは)からだと環境にまたがって発生・存在している」(大谷,2008, p.226)。

心は身体―環境システムの別称である。

これをあなたの質問への回答としておきましょう。

このシステムを構成する一部として,脳はどのような役割を果たしているか。

脳科学はこのように位置づけられることになります。

この方向での探求は,ジェームズ・ギブソンに始まるアフォーダンス理論(Gibson,1979 古崎他訳 1985など)や,河野哲也さんらの「拡張した心論」(河野,2005など)で知ることができます。

最終的な答えではないし,異論もあるでしょうが,有望な心理学的問いかけだと私は考えます。

 

-------------------(転載ここまで) 

 

なんだかよく分からないですね(笑)

 

心はどこにあるのですか?といった質問に、「心臓」だとか「脳」であるとか「魂」だとかいう人がいたかと思えば「場所探しという問いかけが間違いだ」と言う人もいるようです。

 

最終的に、心はからだと環境にまたがって発生・存在している身体―環境システムの別称だと日本心理学会の森 直久氏は言いました。

 

ということは、人の心は空中に浮いているということでしょうか。

 

もはや、心は体の中には存在しないかのような結論付けですね。

 

そんな不明瞭な物に対して心療内科や精神科医では向精神薬などの薬を処方して治療をしているのですね。

 

果たして、体の中に存在しないものを薬で何とか出来るのでしょうか。

 

私は出来ないと思うのですが・・・

 

かくいう私も過去に鬱病のような症状で苦しんでいた時期がありました。

 

20代前半の頃です。

 

憧れの仕事に就き、意気揚々と一生懸命に働いていたのですが、上手くいかずにクビになりました。

 

その後、転職先が決まったと思ったら急遽なくなり、憧れの仕事を辞めることに・・・

 

あの当時の事を思い出すと今でも胸が苦しくなるので、あまり思い出したくないのですが、本気で死のうと思いました。

 

死ぬ場所や方法を真剣に考えました。

 

ただ簡単に人は死ねませんね。

 

最後は生きたいという気持ちが強くなり、なんだかんだ今では毎日楽しく元気に仕事をしています。

 

では私はどのようにして切り抜けたのか。

 

当時、死にたいほど苦しい心の状況を薬でどうにかなるとも思えなかった私はとにかく神様にすがりつきました。

 

「神様どうか助けてください」とか「神様許して下さい」とか頭の中に浮かぶ言葉をひたすら言い続けていました。

 

その甲斐あってか、私は一度は失いかけていた仕事が違った形で出来るようになり事なきを得たのです。

 

そして、新たな仕事をこなしていく中で今の仕事に役立つ事ができるようになり、今思えばあの時に憧れの仕事をクビになって良かったと思っています。

 

このように私は心の問題をクスリに頼らず、神様に頼って改善しました。

 

神様といっても神社仏閣にいったり、教会や宗教施設に行ったわけでありません。

 

ただ一人で頭で考えて神様に頼っただけです。

 

日本心理学会の方が言う、心はからだと環境にまたがって発生・存在している身体―環境システムの別称いう目に見えないものが心なら、目に見えないものである神様の力を頼ったのは正解だったのかもしれせんね。

 

ただ、そんなことは信じられない人がほとんどでしょうから薬に助けを求める人が多いのでしょう。

 

私は心療内科で処方される薬も、闇の世界で手に入れる覚せい剤や大麻も同じようなものではないかと思っているので、これから先も心の問題を薬で解決することはないと思います。

 

ただ一人、私は頭の中にいる神様と繋がり続けることだけを考えて生きていくと思います。

 

そんな私が考える、心とはどこにあるのか?

 

答えは出ているのですが、あえて最後に書きたいと思います。

 

まず、心は心臓である説ですが、私は違うと思います。

 

その根拠はハートマークにあります。

 

皆さんは心と言われて思い浮かぶのは、ハートマークですよね。

 

冒頭の写真のように砂浜に書かれたハートマーク、一見するとなんかロマンティックな感じがしていいですよね(笑)

 

ただ、このハートマークの由来を皆さんご存知でしょうか?

 

----------(以下、Wikipediaより転載)

ハート(英: heart)、ハートマークは、心臓を表すシンボル。一般的に色は赤で示される。

なお、日本の建築などでみられる同様の形の文様や透かし彫りは猪目と呼ばれる。

 

一般的には心臓を表したものとされているが、これには異論もあり、女性の臀部や胸の輪郭、陰部などを表現したものだとする説もある。

カイロのエジプト考古学博物館には、ハートマークをあしらった古代エジプトの女性用ミイラマスクも所蔵されている。

古代ギリシャにおいて、ハートマークと非常に良く似た形をしたシルフィウム(既に絶滅して現存していない植物の一種)の種または果実をモチーフとした銀貨が発行されており、起源の一説として取り上げられている。

一方、トランプのスート(絵柄)のひとつでもある。本来はカップの形をしていたが、ドイツではかわってハートの形をしたマークが使われた。現在のマークはドイツのものをほぼそのまま使用している。

 

-----------(転載ここまで)

この様に、ハートマークは、心臓や女性の臀部、胸の輪郭、陰部などをを表すと書かれてあります。

 

この辺りでハートマークと心は別のものだと断定できますね。

 

さらに、ハートマークの形によく似たシルフィウムという種が起源の一説と言われているようです。

 

果たして、シルフィウムとはどのようなものなんでしょうか。

 

--------------(以下、こちらより転載)

ハート型のシルフィウム

紀元前七世紀、ギリシャ人が領土を広げるなか、北アフリカの海岸に植民地キュレネ(現在のキレナイカ)を建設しました。

そして、このキュレネ草創期の主な輸出品目は、「シルフィウム(silphium)」と呼ばれる今では絶滅してしまったハーブでした。

シルフィウムは種の形がハートの形「♡」をしていて、「ハートマーク♡」の由来になったと考えられています。

ハートマークは、心臓や女性を表現したものだという説もありますが、当時発行された銀貨にシルフィウムが刻印されているため、この時広く流布されたと思われます。(トランプのハートマークは「僧侶」、本来はカップの形)

薬草や料理で使うほか、避妊薬としても大変な人気だったので、約600年の間キュレネはシルフィウム貿易によって繁栄しました。

銀貨に刻印されたシルフィウムしかし、シルフィウムを栽培しようとしてもうまくいかず、野生種のみだったため紀元1世紀ごろには絶滅してしまいます。

古代ギリシャの植物学者で植物学の祖として知られるテオフラストス(BC373年頃~BC287年頃)も、「シルフィウムはなぜか栽培することができなかった」と書いています。

もちろん、割当以上に採る事は禁止されていたそうなのですが、肉の需要が増えたことによる大規模な放牧に加え、砂漠化も絶滅の要因になったと思われます。

なお、テオフラストスの『植物誌』によれば、シルフィウムの近い種にマギュダリスと呼ばれるものがあり、「シリアの付近やギリシャのパルナソス山にたくさん生えている」とあることから、近親種は生き残っているかもしれません。

 

--------------(転載ここまで) 

2700~2800年前に大流行した避妊薬がハートマークの由来だなんて・・・信じられないですね(笑)

 

というか古代ギリシャの時代になぜ避妊薬が流行したのかも謎ではありますが、それだけ人々はそのような行為にふけっていたということでしょうか。

 

しかも、600年もシルフィウムがバカ売れしていたようですね。

 

600年の間、人々は避妊薬を使って性行為を頻繁におこなっていた・・・

 

日本で言えば、室町時代から現在まで流行していたことになりますね。

 

シルフィウムおそるべし。

 

そんな避妊薬をモチーフにしたのがハートマークです。

 

メールでハートマークを入れる時にちょっとためらってしまいますね。

 

そして、ハートマーク=心という観念も怖いですね。

 

こんなことを流行らせたのも、人々の心の中を避妊薬を使う性行為でいっぱいにして、人々を堕落させようする悪い意図を感じずにはいられないのは私だけでしょうか。

 

事実こんなことが日本で行われていました。

 

それが3S政策です。

 

----------------(以下、Wikipediaより転載)

 

3S政策(さんエスせいさく)とは、Screen(スクリーン=映画)、Sport(スポーツ=プロスポーツ)、Sex(セックス=性産業)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策であり、そのような政策があったとの主張である。

 

-----------------(転載ここまで)

3S政策とは、第二次世界大戦後の日本を愚民化させようとアメリカが行った政策ですね。

  

この政策は見事に成功して日本人の良心が確実に崩れていきましたね。

 

恐るべし3S政策です。

 

ちなみに、オリンピックの選手村ではコンドームが無料配布されているのを皆さんご存知でしょうか?

 

詳しくはこちらをクリックしてご覧ください。

 

韓国の平昌(ピョンチャン)冬季五輪の時には11万個が無料配布されたそうです。

 

この理由は、エイズを予防する為だと言っていますが、誰でも構わずそんな行為をすること自体があり得ないことです。

 

これも誰かの思惑でスポーツ選手の心を堕落させる狙いがあったのでしょうか。

 

このようなことからも避妊薬の種を真似たハートマークが心であるというのは私は違うと思います。

 

そもそも誰でも構わず性行為をして性的な欲求をコントロール出来ない心には、私はなりたくないですね。

 

そんなことが当たり前になったら、それこそレイプが日常茶飯事のインドみたいになってしまいます。

 

それでは、心とはどこにあるのか?

 

私は、脳にあると思っています。

 

これは現代科学でも証明されていることなので、あえて説明するまででもないのですが、 これから書いていくことは私の勝手な見解です。

 

ですので、全てを鵜呑みにせず話半分程度で聞いて頂ければ幸いです。

 

繰り返しになりますが、現代科学でも心は脳にあることが証明されているのですが、脳のどこに心があるのか?

 

人間の脳は、大脳、間脳、中脳、後脳、小脳、延髄の6種類の領域に分類されているのですが、このうち心はどこか?

 

これを答えられる人はいないと思います。

 

ただ私は、ある一つの答えを出しました。

 

それは心をコントロールできるのは、脳の中の延髄だと思っています。

 

というのも延髄が呼吸、循環、消化の司令塔だからです。

 

私は過去の記事「間違いだらけの呼吸法」で延髄について書きましたが、延髄を使いこなす必要性を説きました。

 

なぜ延髄を使いこなす必要があるのか?

 

それは延髄を使いこなすと呼吸や心拍を調整できるので、気持ちが落ち着くからです。

 

また、心理的要因でお腹が痛くなったり内臓に反応が出るのも消化の司令塔がある延髄を使いこなせば解決します。

 

ですので、薬に頼らずとも延髄を使いこなせれば内臓も調整できるのです。

 

よくよく考えると、精神的に追い込まれると呼吸は浅く速くなるし、心臓もドキドキするし、お腹もギューッと痛くなりますよね。

 

そんな時に延髄を正しく動かしてあげると呼吸も心拍も落ち着きお腹が痛いのも改善しそうですよね。

 

間違いだらけの呼吸法でも書きましたが、目玉を下にして下向き加減が強いと延髄に良くない理由は心が乱れていくからでしょうかね。

 

上記の写真を見れば分かる通り、延髄は見た目上、脊髄の続きであって、脊髄と同様の構造を多く持ち、脊髄との間に明瞭な境界はありません。

 

これは日本心理学会の方が以下のことを言っていましたね。

 

「心が物理的作用だとすると,物理的作用は脳内部にとどまらず,脊髄,末梢神経,感覚運動器官へ,さらに皮膚からそれと接する環境へとつながっている」

 

言っている事はよく理解出来ませんが(笑)何となくですが、延髄と脊髄の関係性が心に影響を与えているのではないでしょうか。

 

気分が落ち込んだ時に運動するとなんかスッキリするのは、脊髄ー延髄の関係があるのではないかと推測しています。

 

だからこそ体を動かす事は凄く大切だと思います。

 

もちろん、体だけを動かしていれば心の問題は全て解決するとは思っていません。

 

ただし体を動かすことは、心を整える為に最低限必要なことです。

 

現代人はこの最低限必要なことをしていないのが問題です。

 

とにかく便利な物を使って楽したがるのが当たり前の世の中です。

 

そんな事ばかり考えているといつの日か、ちょっとした手間が煩わしく思えるようになり行動が鈍くなります。

 

「思い立ったが吉日」という言葉がありますが、この言葉通りに何事にもすぐ行動出来る人は心が正常な状態で、「めんどくさい」「できない」といって何事にも挑戦しない人は、心が異常な状態だと思って間違いないと思います。

 

これも全て医学的に説明出来ます。

 

延髄ー脊髄の関係性が上手く機能していれば、考えたことを脊髄神経を通して体をすぐに動かせるからです。

 

この関係性が崩れると人はボケます。

 

つまり痴呆や認知症は、延髄ー脊髄の関係が最悪な状態の時に起こる病気だと私は考えます。

 

ちなみに、痴呆や認知症を誘発させるアイテムがあります。

 

昔はそのアイテムが1家に1台が普通だったのですが、今は1人に1台?2台になっていて、どこでも使えるようになっています。

 

なんだか分かりますか?

 

答えはテレビです。

 

年齢を重ねていくとやる事がないので、四六時中テレビを見ることが多くなります。

 

このテレビはかなり危険です。

 

それもそのはず、人々を愚民化させる3S政策の1つだからです。

 

詳しくは下記の動画をご覧ください。 

アメリカの研究では、「テレビを1分見るだけで脳波が、ベーター波からα波に変わる」と言われています。

 

α波と聞くと良いイメージがあるかもしれませんが、この脳波はある意味に何も考えない状態です。

 

つまり、α波状態が長くなればなるほど何も「考えられない人間」になるということです。

 

何も考えられない人は、何が正しくて何が悪いのか分別できない人になるということです。

 

そのような人は、だいたい「みんなやっているから大丈夫」という考えだけで生きていく事になります。

 

これは本当に恐ろしいことですね。

 

極端な話、「覚せい剤をみんなやっているから大丈夫」「レイプをみんなやっているから大丈夫」「戦争で人を殺すのもみんなやっているから大丈夫」といった考えになるということです。

 

そんな大げさな!と笑われる方もいるかもしれませんが、テレビの影響はバカに出来ないほどの影響力があり、人々の脳波や行動をものの見事にコントロールしています。

 

身近な話で言えば、テレビで「バナナは痩せられる」と言われれば翌日のスーパーからバナナが消えるなんてことは結構ありますよね。

 

これがテレビの影響力です。

 

それだけ世の中の人が「テレビ=正解」という認識が強いということです。

 

これは3S政策が上手くいっている証でしょう。

 

自分の考えで物事を判断できない人が増えているのも、このような時代背景があるからでしょう。

 

お年寄りの方は是非気を付けて欲しいのですが、長年テレビをたくさん見てきて何も考えられない状態の人に今更このような話をしても無駄かもしれませんね。

 

ですので、これから将来を担う子供たちにはテレビの真実を教えていきたいのですが、これもテレビ好きな親が多いので難しいかもしれませんね。

 

ただこのブログを読み、自分の考えで物事を判断出来るようになりたいと思った方、子供たちの脳を正常にしたいと思った方、今からでも遅くありません。

 

まずは、テレビ以外の楽しみを見つけてみて下さい。

 

私がお勧めするのは、やはり運動ですね。

 

体あっての人生ですから、まずは自分の体を正常にさせましょう。

 

体が正常になれば、考え方も正常になっていきます。

 

体と考えが正常になれば、行動も正常になってきます。

 

行動が正常になれば、自分自身がやるべき事がはっきりしてきます。

 

やるべき事がはっきりすれば、やりがいが出てきて人生が今まで以上に楽しくなってきます。

 

そんな生活が毎日続けば人は幸せに生きられるようになるのではないでしょうか。

 

もちろん、こんな単純で簡単に進まないでしょう。

 

大変なことだってあります。

 

辛いことだってあります。

 

でもその時に体が軽く動かせるような状態であればどうでしょう。

 

おそらく、また頑張ろう!って思えるのではないでしょうか。

 

運動は、延髄ー脊髄の働きを高めるものです。

 

呼吸、循環、消化の司令塔は延髄です。

 

延髄をより良いものにするには、脊髄の働きが大切です。

 

脊髄の働きを高めるには、やはり身体感覚を磨く必要があります。

 

だからこそ、脊髄の通り道の背骨がある腰と背中を使った運動が重要なのです。

 

運動をすれば様々な感覚を得られて、色々な事を考えます。

 

考える事で人は成長するので、いくつになっても運動を続けていれば人は永遠に成長出来ると私は思っています。

 

年齢を言い訳にせず、少しづつ運動しましょう。

 

 

空間の共有

世の中で不要な人は一人もいないと私は思っています。

 

一人一人が大切だし、一人一人が主役です。

 

ただ、その一人一人の自覚がしっかりしないといけないと思います。

 

それはなぜか?

 

だって、私たちは空間をみんなで作り共有しているからです。

 

「空間なんて目に見えないからどーでもいいじゃーん!」と思われる方も増えてきているのではないでしょうか。

 

雨の日、人とすれ違う時に傘が当たらないように気を付けるのが正常なのですが、何も考えずにずかずかと歩き進み、傘が人に当たっても気にしない人が多くいます。

 

このような空間の共有が上手くいかないと人は「イラっ!」とします。

 

ここで、心に余裕がない人は暴力行為にでるのでしょう。

 

駅のホームに「暴力行為は犯罪です!」と書かれたポスターが貼ってありますが、何とも悲しいことですね。

 

人が人を傷めつける行為は、一人一人が大切だと思っている私の中ではありえないことなのですが、心が整っていない人はそのようになるのですね。

 

この様な事が早くなくなることを願うばかりです。

 

さて、私は心を脳であると書きましたが、どうも脳だけではない気がします。

 

ある意味、空間にもそれぞれの心が存在しているのではないかと思います。

 

つまり、目に見えない部分にも自分の心があるということです。

 

これについては、日本心理学会のWikipediaにも以下の様に書かれてありましたね。

 

「脳科学者である大谷悟さんは,ためらいながらもこのように言います。「(こころという感じは)からだと環境にまたがって発生・存在している」(大谷,2008, p.226)。」

 

このように書かれてあっても普通の人なら理解できないことでしょう。

 

でも私は何となく分かる気がします。

 

というのも私は、これまで目に見える体をとことん突き詰めて考えてきました。

 

その努力によって、人間の体は「延髄ー脊髄の関係をよくする運動」をすれば健康でいられることがわかりました。

 

おそらく、こんなことを言っている人は誰もいないでしょう。

 

これは私の妄信ではなく、実際に子供も実感していますし、良い影響が出ています。

 

最近は大人向けのトレーニングであるセントレで、私の言っていることを実感している人が増えてきています。

 

このように体について深く分かった私は、心についても今少しづつ分かり始めています。

 

「目に見える体を極めれば、目に見えない心も極められる」

 

ある意味、人間というものを悟ってきている気がします。

 

もちろん、これを多くの人に戯言と思われないように、私自身もっと頑張らなければいけません。

 

これからも皆さんの何かに役に立つことを発信してきますので、今後もブログをお楽しみください。

 

ということで、子供たちに「心はどこにあるのか?」と聞かれたら私は脳であると答えます。

 

そして、脳の一部分である延髄が心をコントロールしていて、延髄ー脊髄の関係がとても大切なんだと答えます。

 

脊髄は運動に関係しているから、正しく運動をして正しく心をコントロールしていこうね、とも答えます。

 

最後に、心は目に見えないものでもあるから、普段から「言葉」や「行動」に気を付けてみんなの心が分かるように生活しようね!と締めくくります。

 

いかがでしょうか、これが私の考える心です。

 

もちろん、これが正解ではないかもしれません。

 

ただ、このブログを最後まで読んで下さった皆さんも心について考えてみてはいかがでしょうか?

 

それでは、またの更新をお楽しみに!