からだとこころは繋がっているとよく言われますが、果たしてどうなのでしょうか。
今回は、そのことについて書いていきたいと思います。
といっても「からだ」については過去に散々書いてきました。
「怪我無く健康でいられるようにする為には、どうしたらよいか?」
「常に成長する為には何をしたら良いか?」
私はこのことばかりを考えてきたおっさんです(笑)
そんなおっさんが出した答えは非常にシンプルでした。
それが、軸がブレない体を手に入れるです。
何事も「軸」って大切ですよね。
軸がブレると何もかも上手くいきません。
それだけ重要な軸なのですが、未だかつてどこに軸があるのか分かりやすく教えてくれた人はいませんでした。
学校の先生、
サッカー部の監督、
空手の先生、
医療系の専門学校の先生、
スポーツトレーナーとして有名な先生、
難病治療をする先生、
東大卒の医師、
一流のスポーツ選手・・・
私は様々な人と話をしましたが、軸がどこにあるのか教えてくれる人はいませんでした。
ですが、私はある事をして軸を見つけることが出来ました。
軸は後ろにある。
これを見つけてからというもの、本当に生活しやすくなりました。
とにかく体が楽に扱えるというのは本当に凄いことです。
それもそのはず、体が楽に扱えると何事にも挑戦しようという気持ちになれるのです。
それに体が軽く楽に扱えるようになると、昔出来なかったことが出来るようになるのです。
足が遅く体力もなかった私が、今では10km走るのが朝飯前になりました。
これは体の軸が後ろにあることに気付けたからこそできたことだと思っています。
悲しいかな、世の中の人はいまだに体の軸がどこにあるのか分からない人が多いようです。
そして、腰が痛い、膝が痛い、頭が痛い、現代人は何かにつけ「痛い」と言う癖を身に付けました。
まるで体に痛みが出るのが当たり前のことのように言う人が本当に多いです。
体の軸を知ったらそんなことないのですが、皆さんはそれをめんどくさいと言ってしようとしません。
この「めんどくさい」と言う癖は厄介ですね。
何かにつけ「めんどくさい」といってやるべき事を後回しにする人が非常に多くなっています。
「痛い」「めんどくさい」は現代人の流行語のような気がします。
その言語は子供たちにも伝わり、「なんかイライラするー」と言ったり、すぐに「疲れたー」と言ったりする子供増えています。
これが当たり前と言われてしまったらそれまでですが、そんな言葉が当たり前に聞こえてくる環境に身をおき続ければ、人間の心はどうなるのでしょうか。
「痛い」
「めんどくさい」
「なんかイライラするー」
「疲れたー」
試しに1日中、この言葉を言い続けてみてください。
気持ちは沈み、心が暗くなっていくのが分かると思います。
とてもではないですが、明るく何事も前向きに取り組む気持ちにはならないと思います。
だからこそ言葉は非常に大切なのです。
ある人からひと言かけられて人生が変わった、なんて話よくありますよね。
それだけ言葉は重要なのです。
一言で人生が良い方に変わればいいのですが、最近の人が話す言葉は人生を悪い方に変えている気がします。
そして言葉一つ一つに気持ちが入っていないというか、元気がないというか、何か「疲れ」を感じます。
そうですね。
なんか、みんな疲れてませんか?
特に休み明けの月曜日ってみんな凄く疲れています(笑)
「あれ?昨日、休んだんじゃないの?」
こんな風に言いたくなるほど皆さん疲れてますよね。
特に小学生は酷いです。
大人以上に子供が疲れていると思うのは私だけでしょうか。
朝学校へ登校する小学生の後ろ姿が、もはや中年のサラリーマンです。
もちろん、全員がそうとは限らないですが、疲れた小学生の割合は年々増えているように感じます。
これは小学生が悪いのでしょうか。
私は、そんなことはないと思います。
というのも、疲れている人からの一言と、疲れていない人からの一言では、圧倒的に後者からの一言の方が元気でますよね。
では小学生に元気がないのはなぜでしょうか?
それは家庭での言葉かけに問題があるのではないでしょうか。
つまり、親から子供への声掛けです。
この声掛け一つで元気な子供になるか、疲れた子供になるか決まってくると思います。
親が疲れていれば子供も疲れます。
親が元気なら子供も元気になります。
これは声掛けの質によって違いが生まれるのではないでしょうか。
からだとこころは繋がっているとよく言われますが、その仲介役はなんでしょうか。
それは言葉のような気がします。
「元気な体を持つ人から発せられる言葉を聞いて心は元気になる」
世の中では心の問題を小難しく話をする人が多いですが、そんな難しく考えなくてもいいのではないでしょうか。
元気な体を手に入れれば、声掛けも元気な物になり、心も自然と元気になります。
疲れない体を手に入れる努力をすれば、自然と前向きになります。
しかし、今の小学生は遊びで体を動かすよりも座ってゲームや勉強をしている時間が長く、疲れない体を手に入れる努力をしません。
また大人は運動やスポーツをするのでしょうが、世の中のトレーニングは体を元気にするというよりも、体を傷めつけていることが多い気がします。
「昨日久しぶりに運動したんだけど筋肉痛が酷くて・・・」
このような言葉は日常茶飯事ですよね。
なぜ、そのようなことになるのか?
答えは簡単です。
運動をする目的がダイエットや筋肉をつけるといった、見た目を改善しようとするものだからです。
筋肉がいくらあっても疲れやすく、すぐに怪我をしたり風邪をひくようなだったら、なんか意味ないですよね。
「あれだけ頑張ってトレーニングしたのに・・・」
このようにつぶやきたくなりますよね。
一生懸命頑張った人ほど悲しい気持ちになり傷は深くなります。
ただ、それは自分のまいた種でもあります。
その責任は自分で負うしかないでしょう。
まずは原因を調べましょう。
そうです。
運動やトレーニングの目的を見た目ではなく、中身を変えることにしましょう。
つまり、体の動かしやすさを求めるのです。
もちろん、体を動かしやすくするためのトレーニングは世の中にもたくさんあると思います。
ただ体の軸を知らずに、筋肉や関節を動かすことばかりに集中すると確実に怪我をします。
筋肉は動く前に神経から指令がでます。
この神経の指令がしっかり届けば筋肉や関節は無理なく動きます。
では神経はどこにあるのか?
背骨の中です。
それが脊髄神経です。
この脊髄神経は背骨のどこにあるかで役割が違います。
腰のあたりにある神経は足を動かし、首や背中あたりにある神経は手や背中を動かします。
つまり背骨の扱い方が上手なら神経の使い方も上手なので、全身の筋肉や関節を楽に動かせるようになるのです。
しかし、現代人の背骨はかなり歪んでいます。
歪んだ背骨にある神経は歪んだものになります。
歪んだ神経から出された指令は筋肉に上手く伝わらず誤作動をおこします。
筋肉が誤作動を起こせば、関節運動もぎこちなくなり全身の筋肉がこわばりやすくなります。
これが現代人の運動翌日におこる筋肉痛の原因です。
それを年だから筋肉痛がでるのだと、年齢のせいにしてはいけません。
そもそも体の軸を知らないから酷い筋肉痛がでるのです。
そして、何をやっても上手くいかないと人間は「痛い」「めんどくさい」「イライラする」「疲れたー」などと言うようになるのです。
皆さんはこのようにならないように自分の体の軸を知って、疲れない体を手に入れる努力をしてくださいね。
そうすれば、周囲の人に放つ言葉も良いものになるのではないでしょうか。
話は変わりますが、私は小学生の頃から決めていたことがあります。
それは「愚痴を言わない」です。
これは私が幼い頃に大人の愚痴を聞くと気持ちが沈んだ経験があったことから、自分は絶対に言わないようにしようと決めたのですが、もう一つ決めた事があります。
それが「愚痴を言う人の所には近づかない」です。
これは自分の心を守る自己防衛反応でしょうか、その反応に素直に従いつづけてここまで生きてきました。
するとどうでしょう。
私の周りには子供が一番多く集まるようになりました。
愚痴を言う人のところから離れ続けていたら周囲に子供が集まってきた。
まー当然と言えば当然でしょうか。
子供は本来愚痴なんて言わないですもんね。
もし愚痴を言う子供がいるとしたら、愚痴を言う大人が近くにいるということではないでしょうか。
子供は大人の影響を強く受けます。
私はそんな影響を受けた子供を少しでも救いたいと思い体の扱い方を教えています。
自分の体を楽に動かせる方法を知れば少なくとも「痛い」「めんどくさい」「イライラする」「疲れたー」という事を言わなくなると思います。
実際、私の周りにいる子供たちはみんな愚痴を言わず何事にも前向きに取り組もうとする子が多いです。
これは心が良い方向に成長している証拠ではないでしょうか。
体の軸を正しく使う方法を知ると、心は良い方向に成長して行くようです。
「体の軸を整えておけば心は整う」
子供の心に限っていえば、このような至ってシンプルな事のような気がします。
そもそも体の軸を知る授業を学校教育でやればいいのでしょうが、私のようなおっさんの言葉に耳を傾けてくれる教育者はいないでしょう。
それが現実です。
いくら疲れない体を手に入れる努力をしても社会全体が歪んでいたら、体も心も歪んでしまいますよね。
ここで少しだけ社会全体に目を向けてみましょう。
難しい話はしませんので、少しだけお付き合い下さい。
社会に目を向ければ至ってシンプルとは言えないほど複雑で難解な問題が山積みになっています。
この問題を解決しようと偉そうに政治家は声をあげますが、その政治家が反社会的組織と蜜月の仲だったなんて話はもはや常識ですよね。
ケチって火炎瓶なんて言葉が話題になりましたが、これは安倍首相が元建設会社会長とのトラブルのことで、1999年の下関市長選挙で、元建設会社会長は安倍派の候補者を支援するが、当選後、十分な見返りを得られなかった為に起きた問題のことなのですが、知らない人が多いようです。
安倍議員側が元建設会社会長に表沙汰にできないような支援を依頼し、その見返りに関する「念書」もあるとの疑惑が浮上。しかし、2006年、第1次安倍内閣が成立し、事件の真相は闇へ葬られたそうです。
簡単にいってしまえば、総理大臣が選挙活動に暴力団を使ったということです。
安倍晋三首相は暴力団と接点があり、それを武器に世の中をコントロールしているということですね。
そのような人が内閣改造どうのこうの言っている訳ですから、日本はとんでもない状況です。
詳しくは下記の本を読んでみてください。
現職の総理大臣が暴力団と繋がっているという事実が上記の本でお分かり頂けると思います。
このようなことを平気でするのが政治家なのでしょうか。
世のため人の為に働くと言いながら、陰では悪い事をしているようです。
私たちの税金を使って生活している人がこのようなことをしているのですから、世の中は本当に腐っていますね。
司令塔が歪んだことをしていれば、その指令をうける人たちも同様に歪んで行きます。
経済、メディア、教育、医療、福祉、など全てにおいて歪んだ考えをもった人たちが歪んだ社会を作り出しているのでしょう。
このような世の中で私たちは生活しているのですから、いくら体の軸を知っても人生が良くなることはないのかもしれません。
だからといって、体の軸を知らないでも良いなんてことは絶対にないです。
話が体から社会の話になりましたが、体という一部分だけを見ていれば心は整えらることはないというのも事実です。
もちろん、心という一部分だけを見てもダメでしょう。
あくまでも世の中全体を見ながら自分自身がやるべき事が何なのか考えなくてはいけない気がします。
それが出来て初めて体と心は整うのではないでしょうか。
とはいえ、「子供に社会全体を見なさい!」なんて言っても無理ですよね(笑)
だからこそ大人が立ち上がらなければならないのですが、安倍首相の悪事を知ったところで「自分が何とかしてやる!」と思う人は非常に少ない気がします。
「あべちゃんって悪い人なんだー」
「へー、でも別に関係ないかなー」
このように思う人が大半だと思います。
それが現実でしょう。
だからこそ、子供の頃は「体の軸を整えておけば心は整う」という至ってシンプルな話だけでいいと思います。
特に小学6年生までは体を使った遊びを沢山して欲しいものですね。
その遊びの中で子供の心も整うのではないでしょうか。
あとは体も心も整った子供が今後の世の中をよい方向に変えていってくれることを望むしかないようです。
そんな悲観的な考えをしていましたが、世の中の歪みを正そうとする大人がいました。
それが先月のランニング教室に参加してくれた方です。
その方は市川市にある保育園の園長先生です。
そこは「ひだまりおやこ園」という保育園なのですが、園長先生は世の中全体を見て子供たちに教育をされている素晴らしい方です。
そのような素晴らしい方がからだ塾に興味を持って下さり、園長先生が直々にランニング教室に参加してくれました。
そんな園長先生は普段からブログを書いているのですが、なんとそのブログにからだ塾のランニング教室に参加した感想を書いてくれました。
気になる感想をご覧下さい。
-----------(以下、ひだまりおやこ園より転載)
さて、この記事で書いた「からだ塾」のランニング教室、少し前になりますが先月22日に予定通り参加してきました。今日はこのことに関して。
教室に参加して、その後ウォーキングやランニングをすることが楽しくなっています。
何が楽しいかというと、歩きながら・走りながら、自分の体と対話をすること。「あっ、今、歩いていて楽だ。」とか「膝や腰がゆるんでいるよなぁ。」とか。
そういったきっかけを与えてくれているのが「からだ塾」です。
「こころをできるだけシンプルに」がひだまりのアプローチですよね。「自分の気持ちに正直に」みたいなことを繰り返しお伝えしていますよね。
対して、からだ塾のアプローチって、「からだをできるだけシンプルに」っていうことだと感じました。無理・無駄がないからだの使い方を教えてくれるところなのかなぁ、と。
「こころ」と「からだ」はつながっていますので、「ひだまり」と「からだ塾」ってアプローチは違えど、同じような世界を見ているのかなぁ、と感じました。
こころをシンプルにしていくのならば、同時にからだをシンプルにしていくことも欠かせません。逆もまたしかり。
主宰の望月さんとは、まだまだ話し足りず、互いのことは分かっていませんが、同じような匂いを感じる面があります(笑)。
まずは、(感覚としては体の後ろ側にある)「体の軸」を意識して動く、そんなことを練習しました。
体の軸を意識する、逆に言えば「手足など末端の動きは意識から外す」ことでもあります。これがまた難しい!いかに普段、末端を意識しているかを自覚させられます。
こころの話に例えると、「自分の本当の気持ちを置いておいて、上辺の気持ちに振り回されている」みたいな感じでしょうか。
「走る(歩く)時に膝や腰を必要以上に曲げる(力を入れる)、だから膝や腰が痛くなるのだ。」という理論は私にとってまったく新しいものでした。
膝や腰(股関節)を曲げてクッションとして使う。だからそれらの部位が痛む。なるほど、理屈としては筋が通っているな。
根本的には、体を曲げるということは、曲げる時にエネルギー(酸素)を消費してしまうことであります。からだ塾で教えてくれる無理・無駄がない動きとは、「からだを必要以上に曲げない動き」でもありました。
「でも、膝や股関節を曲げて衝撃を吸収しなくて大丈夫?怪我をしない?」、そう思った私でした。
「佐田さん、それが固定観念なんですよ。」と望月さんに言われる私でした。
「佐田さん、体の中で最も衝撃を吸収できる部位って、どこだか知ってます?」、と望月さん。「それはね、『背骨』ですよ。衝撃吸収能力は圧倒的に背骨。
膝の半月板なんて本当に薄いんですから。
そんな所を酷使してどうするんですか?」、と言われてしまいました。
私なりの解釈も入れて書いていますが、走りながら膝を(あまり)曲げずに力を抜いて緩める。そうすると足のところで発生した衝撃は膝で吸収をせずにそのまま股関節(腰)に伝わっていきます。
股関節も同じように緩めていると、その衝撃は背骨に伝わっていきます。
それを背骨で吸収するというのが、望月さんの言っていることなのでしょう。
子どもたちはこの時の感覚を「背骨に電気が走る」と形容するそうです。
実際に走っていれば、膝も股関節も適度に曲がります。
望月さんの言っていることを現実的に解釈をすると、背骨のクッションを活用しながら、膝・股関節の負荷を減らすということなのだろうな、と思いました。
椅子に腰掛けた状態から、すくっと立ち上がります。
その状態から、背骨の軸だけを意識して、それ以外の部位は脱力するようにドスンと椅子に腰掛けます。
これ、私にはかなりの恐怖でした。
だって、お尻(股関節)に力を入れて構えないと痛そうなのですもの。
「ほら、佐田さん、固定観念!」、と言われてしまいました。
試しにお尻の力を緩めて腰掛けてみます。えい!… 「あれ??痛くない!」 お尻のところで発生した衝撃は、そのまま背骨へと伝わりそこで吸収したからだと思います。
こんな感じで、まだまだ知らないからだの感覚、いっぱいあるのだろうと思いました!
教室の中で「あっ、この感じ!いいな!」と思うこと、たくさんでした。
しかし…、次の日になったら「いいな」と思う感覚の多くは忘れてしまいました(笑)。
でもこれ、当たり前ですよね。
普段、無理・無駄をたくさんしているのに、1回の教室でがらっと変えるのはなかなか難しくて当然。だから継続・反復が大切。
10月のランニング教室にも申し込みました。こちらは募集終了となったようですが、興味がある方はホームページをチェックしてみてくださいね。
お読みいただきありがとうございます。
--------------(転載ここまで)
ランニング教室に1回参加しただけで私が伝えたいことを分かってくれるとは、さすがですね。
佐田さんは、継続する大切さを身に染みて分かってくれたので、次回のランニング教室も既に予約済みです。
しかも今度は陸上選手の息子さんも連れて来るそうです。
言葉だけでなく、すぐに行動する人って素晴らしいですよね。
これは体と心がしっかり整えられているからこそ出来るのではないでしょうか。
保育園の司令塔がしっかりしていれば、そこで働く保育士もしっかりします。
そして、環境の影響を強く受ける子供たちも確実に良い方向に成長して行くのでしょう。
事実、からだ塾にはひだまりおやこ園を卒園した子供たちが5名来ていますが、みんなそれぞれの個性が光っている素晴らしい子供たちばかりです。
ひだまりおやこ園→からだ塾のバトンリレーはこれから楽しみなものになりそうですね。
とはいえ、私自身が体と心を歪ませない努力を続けていかなければいけません。
ここまで偉そうに体と心の話をしてきましたが、まだまだ歪んだ考えが私の中にはたくさんあります。
それを常に改善できる努力は惜しみません。
そんな私の努力は子供たちが証明してくれるでしょう。
そんな日を楽しみに今日も頑張ります。
皆さんも一緒に頑張りましょう。